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ひーちゃんのつぶやき

筆者について

私の生い立ち

みなさま、はじめまして!

 

今年から私の経験や体験談、考えや思いをコラムとしてホームページにアップすることになりましたので、ぜひ読んでいただければ幸いです。詳細はこちらからどうぞ。

長平良 洋史

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私たちはいつ?

2020-01-27
 みなさんは1時間後・10分後どのようになっているか想像したことありますか?そのまま元気に仕事をしているか?学校で友だちと遊んでいるかもしれません。だけど急に倒れたり事故に遭ったりするかもしれません、そして意識不明になったりそのまま「死」に至るケースもあります。だけど運よく助かったとしても人工呼吸器や胃ろうなどで生かされているという実態がある。
 私の父も認知症になり歩けなく入退院を繰り返していた、お見舞いに行った時父の身体には無数の管が取りつけられ病室には人工呼吸器の音だけ鳴り響いていた、病室にはテレビもあったが消されていたので点けたのですが、看護師さんに「お父さんはテレビ解らないよ」と言われた。解らなくても脳を刺激することで少しでも良くなることがあり、話しかけてあげることによっても脳に刺激が与えられ問いかけに反応することもある、だけど父の姿を見ていると「本当にしあわせなのだろうか?」と早く楽にしてあげることがいいのではないかと感じた。父も85歳こんな管をつけられ生かされているのではしんどいのではないかと感じ姉に相談した。
 姉も同じ意見であったが、日本にはまだ「尊厳死」や「安楽死」は認められずにいた、今も「尊厳死」・「安楽死」は認められていない。「尊厳死」とは人間が人間としての「尊厳」を保って死に臨むことであり、「安楽死」は人間や動物に苦痛を与えず「死」に至らせることであるが、日本ではまだ法整備がなされていない。日本で「安楽死」や「尊厳死」の処置をすれば「嘱託殺人罪」として罰せられるのである、もう痛みに耐えられない・しんどい治療は受けないという患者本人の意思と家族・ドクターと合意すれば「尊厳死」が許されるという考えが、近年医療の現場で徐々に容認されてきている。しかし「尊厳死」として「延命治療」を中止したケースにおいても患者本人の意思が明確だったと認められないという判断が下されて減刑はされたもののいまだ法律的な裏付けが不十分な尊厳死は、グレーゾーンにある。回復が見込まれない終末期の患者に対し「安楽死」・「尊厳死」であっても生き続ける状態を意図的に止めることに関しては賛否両論が絶えません。
 患者本人の意思を尊重し、その人らしい最期を迎えるための方法のひとつとされている尊厳死ですが、実際は急増する高齢者の医療費や介護費用の抑制という目的があるのでは、ということも指摘されています。
また、どこまでを延命措置と判断するかの難しさもあります。
尊厳死にとらわれるあまり、本当に治療が必要な人への治療ができなくなる事態にならないよう、法制化するにあたっては明確な基準が必要となるでしょう。
                                            長平良 洋史

終活考えていますか?

2020-01-13
 「人間」はおぎゃーと生まれてから死ぬまでいろんな選択をしなければならない。
入試や就職・結婚・老後の事など選択をして楽しくしあわせな生活を送っている。
どこの大学へ行きどこの会社に入りだれと結婚するか自分で決めたり周りの人たちに相談したりしながら決めていく、子どもが育ってやっと夫婦の時間やひとりの時間を趣味の時間に使う人もいるであろう、旅行や園芸・カラオケなど趣味を楽しむ人もいるし第二の人生を楽しむ人もいる、いわゆる「趣味活動」である。
 しかし自分の最期をどうやって迎えるかはあまり考えていない人が多いのではないでしょうか?ここ4~5年くらい前から自分の最期をどうやって迎えるかという「終活」が流行り出してきました。
 「終活」とは自分が元気な間に葬儀や墓の準備・残された者に迷惑がかからぬよう生前整理、残された者が自身の財産の相続を円滑に進められるための計画を立てておくことなどが挙げられる、葬儀のやり方も変わって家族葬も増えてきている、昔は親戚中が集まり自宅でやり霊柩車に納め火葬場まで行き火葬するのが多く、私の祖父母の時そうでしたが、父の時は葬儀場でやり火葬場まで寝台に乗せられ火葬しましたが、現在では家族葬や樹木葬などいろんな葬儀のやり方があり、とてもシンプルな葬儀が増えており自分で自分の最期を選べる時代になってきました、本当にそれがいいのか分からないが、人生の中で楽しい事も苦しい時も自分で選んだのだから最期も自分で選んだほうがいいと思う。
 残された家族のためにも自分のためにも、きっちりとやって人生を楽しく過ごしてほしいなと感じます。
私はまだ50歳ですが、この50年いろんな人たちに迷惑をかけ生きてきました、最期だけはきっちりと整理をしてみんなに見守られながら葬儀は楽しく明るくしてほしい、音楽も暗い曲ではなく「小田和正さん」の曲を流しながら楽しく明るく見送ってほしいですよ、棺に入れるものは洗面で使っているキティちゃんのコップ、このコップは大切な友だちからのプレゼントだからね。
 「最期」を楽しく迎える、自分らしい「終活」を探してみればいかがでしょうか?
                                            長平良 洋史

2020年

2020-01-05
 みなさん「新年あけましておめでとうございます。」
いよいよ東京でオリンピック・パラリンピックが開催されますね、チケットが当たった人は楽しみでしょう、残念ながら私チケット抽選に当たらなかったのでテレビで観戦することになりますがいい演技やプレーをたくさん観たいし、日本選手が表彰台の一番上に立ちいい色のメダルをかけている姿をたくさん観たいですね。
 さて今年はどんな年になるのでしょうか?昨年は台風や大雨による「自然災害」に見舞われて、家が壊れたままや仮設住宅で年を越した方々もいるのではないのでしょうか?その頃国民の代表である国会議員は何をしていたのでしょうか?まぁおいしい年越しそばやおせち料理を食べ来年の衆議院選挙のために後援者や支持者といっしょにパーティーでもしていたのではないかと感じる。まぁ国民のお金だから好き勝手に使って私たちはせっせと働き少ない給料で生活をしその中からいろんな税金を払っている、その税金はどこに使われているのだろうか?消費税が10パーセントに上がったが、中小企業などは「レジ」を10パーセントと8パーセント両方使えるような「レジ」にしなければならない、その「レジ」にするには費用がかかり店を閉めざるを得ないところも出てきている、また買い物する私たちも品物によって税率が違うというややこしい消費税になっている、上げるのであれば全部同じ税率にしないのだろうか?これも衆議院選挙のために考え出されたものと言ってもいいだろう。
 さて私の2020年何をしようかなと考え中ですが、元気で楽しく生活していければいいなと思っています。
今年は「自立生活」30年目を迎える年でもあるので、後10年この生活を続けられるように健康で楽しく生活しヘルパーさんやドクター・看護師・友人・家族・地域の方々といっしょに過ごしていきたいです。
 障がいの進行を少しでも遅らせるためリハビリや言語訓練をして自分で出来る事を少しでも増やしていきたいと思います。そして世界各国の方々が幸せになれるように願います。
 今年も「株式会社かめ」のホームページと「ひーちゃんのつぶやき」をよろしくお願いいたします。
                                        長平良 洋史
 

2019年

2019-12-24
 2019年も終わろうとしていますが、みなさんにとって今年はどんな年でしたか?
私はもう身体の変化が大きく緊張も強くなっていくようになりしんどくなった年でしたよ。また後半にはいろいろな事があり精神的にもしんどくてどうしようもない生活を送っていましたが、9月から週1回デイサービスに通いはじめリハビリや言語訓練・手芸などに挑戦し少しずつですが自分で出来ることもだんだん増えてきて楽しくやっていますが、やはり障がいの進行を止めることができず歯がゆい気持ちになっていますが焦ってもいけないと思いながらも焦ってしまい上手くいかない事もありました。
 「人間関係」も上手く行かず悩み続けていましたが、自分で話し周りの人たちにも助けてもらいながら解決し、今は新しいヘルパーさんや看護師さんに慣れていく事に必死ですがそれも時間が解決してくれるのではないかと思います。
 今年も災害や悲しい事件・事故が相次いで起こりました。千葉県を襲った台風災害では記録的な豪雨に見舞われて各地で浸水や土砂崩れが発生し、多くの河川が氾濫し多数の死傷者が出て今もなお避難生活を余儀なくされている。夏は猛暑日が続いて各地で熱中症による搬送される方が増え尊い「命」が失われた。
 今年で51歳になりついに半世紀を生き抜いてきましたが、これもヘルパーさんや友だち・ドクター・看護師たちの応援があったからです、それから天国にいる祖父母や父のおかげです。本当にありがとうございました。
 さあいよいよ日本にオリンピック・パラリンピックが行われる年が訪れようとしています。観戦チケットは当たらなかったのですが、日本選手の活躍しているところを観て一番高い表彰台に立ち胸には一番いい色のメダルがかけられているところをたくさん観たいですよ。私が生きている間に日本で開催されるオリンピック・パラリンピック、ぜひ大成功してほしいですよね。
 2020年、みなさんにとって平和で楽しい年になりますように心からお祈り申し上げます。
 今年1年「ひーちゃんのつぶやき」を読んでくれてありがとうございました。
 また来年もいい記事をお届けしますので宜しくお願い致します。
 「それではまた来年お会いしましょう」
                                          長平良 洋史

これしないといけないの?

2019-12-17
 今年の5月新元号となり、即位の礼や大嘗祭などいろいろな皇室行事が行われた、今年は災害が多く今もなお避難生活や仮設住宅で生活をする人がいるのになぜこんな事をしなければいけないのであろう。
 国民が大変な目に遭っているのに何とも思わないのだろうか?「日本国憲法」では「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と謳われているが、天皇も日本国民のひとりであるのになぜ即位の礼や大嘗祭をしなければいけないのであろうか?大嘗祭にかかる費用は24億4300万円が使われましたが、この費用は「公費」つまり私たちの税金で行われ、大嘗祭が終わった後撤去されるという、24億円もかけて建設したものがすぐに撤去されるこれは「無駄遣い」なのではないかと感じる。大嘗祭をしなければいけないのであれば天皇の生活費からやればいいと感じる。国民ひとりのために24億も使ってお祭り騒ぎをしなければいけないのであろうか?即位の礼や大嘗祭はいつでもできるのに、災害に遭われて大変な生活をしているのになぜしないといけないのであろう。「国民の幸せと繁栄を祈る」というのならなぜ今なのか?災害に遭われた方々のためにも中止し「復旧と復興を」と言えないのだろうか?
 また歴代の天皇の墓に参り、「即位の礼や大嘗祭」無事に終えたという報告をするため京都や伊勢神宮・大正・昭和天皇陵に行ったというが、警備体制や交通規制が敷かれ30分で着くところが1時間かかるという迷惑なものである。ひとりの国民のためにここまでしなければいけないのであろうか?被災して食べるものがない時に晩餐会をしている、これってどうなのでしょうか?また首相が天皇の前で「天皇陛下万歳」としているところがテレビに映った。それを観てまた戦争を繰り返すのだろうかと不安で仕方ありません。
 大嘗祭などは時代錯誤の儀式と感じるのは私だけであろうか?また「即位の礼や大嘗祭」をしなければいけないのであろうか?多額のお金をかけてしなければならないものだろうか?これこそが「税金の無駄遣い」であると私は感じる。「即位の礼や大嘗祭」をするお金があれば復興支援や社会保障に回し、みんなが幸せで豊かな生活が送れるようにすることが真っ先に考えなければならない事だと感じる。
 これ本当にしなければならないのであろうか?
                                          長平良 洋史
 
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