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ひーちゃんのつぶやき

筆者について

私の生い立ち

みなさま、はじめまして!

 

今年から私の経験や体験談、考えや思いをコラムとしてホームページにアップすることになりましたので、ぜひ読んでいただければ幸いです。詳細はこちらからどうぞ。

長平良 洋史

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枕草子と徒然草

2016-11-30
 「春はあけぼの」の出だしで知られる「枕草子」は、平安時代「清少納言」が作った日本初の随筆と言われている。
 枕草子の特徴は「をかし」という言葉を何回も使っている事です。
 この「をかし」とは、「興味深い」だとか「好ましい」「素晴らしい」などの意味として訳されていて、テーマとしては平安時代である当時の貴族社会や自然美などを書いています、四季のうつろいを書いているかと思えば中宮・定子の素晴らしさを自慢してみたり、宮中のちょっとしたエピソードを書いていたりもします。現在でいうブログみたいなもので清少納言が個人的に「興味深いもの」や「美しく素晴らしいもの」「気になって仕方がないもの」などを並び立てて書き綴った作品なのです。

 「つれづれなるままに」の出だしで知られる「徒然草」の作者は「吉田兼好」である、兼好は歌人や随筆家、古典学者、能書家など多彩な才能を発揮した人物であったそうです。
 徒然草のテーマはこれだというのはなく、吉田兼好が思いつくままに、自分が思ったこと書き連ねた作品でその頃その頃で独立した短編集のような作品といえるでしょうか。
 登場人物は、天皇や上皇・貴族に武士・庶民といった幅広い人の活き活きとした描写がなされていて作者の観察の眼が窺えます
 また、独自の持論や趣向なども幅広く述べられており、項によっては一貫性がない主張などもされています。そこがまた人間味を感じさせ、確かに思いつくままに書かれた作品だろうと感じる。

 枕草子は当時の貴族社会や自然美をよく扱っているのに対し、徒然草は作者が思った事を書き連ねた作品。内容も幅広い。
 作者の生まれ育った環境や時代・社会に沿って、自分の感じたままを表現している。

 私はこうしてコラムを書いていますが、いつもみなさんが私のコラムに対しどう思っているか、どう感じているのか不安になります。
 これまでの230記事を読み返す、「何を言いたいの?」というコラムがたくさんです、人の書いたコラムを読むという事は大切な事。清少納言も吉田兼好も私と同じだったのではなかったのではないでしょうか?
長平良 洋史

電化製品がしゃべる

2016-11-12
 電子レンジが「チン」って鳴ると「はい、はい」と言いながら取りに行く人がいる、冷蔵庫にも「なにがあるのかな」と話しながらみる人もいる、なぜだろうか?

 私はしゃべる電子レンジなどの電化製品があれば、きっと面白いだろうなと思われてならない、特に火曜・金曜はね…もし電化製品がしゃべったらどうなるのだろう?ヘルパーさんはどういう反応をするのか見ていたい、多分電化製品とケンカしているか「わかったよ、今行くからね」と会話している風景が頭に浮かんでならない、そんな時代はすぐそこに来ている。

 電気メーカーがしゃべる掃除機を開発し、ウェブ上で販売を始めたほかにも「いつも洗濯お疲れさま」「大切にしてくれてありがとう」など、話しかけてくる冷蔵庫や電子レンジが登場しています。
 しゃべる電化製品はAI(人工知能)技術に音声認識を組み合わせることで、家電製品と対話することに成功、人のライフスタイルに寄り添う家電を作る企画を立ち上げた。これまで掃除機で試してきたが電気コードが絡まったり部屋の溝にはまったりすると「助けて!」と音声で知らせるロボット掃除機。洗剤の量を間違えると「たくさん入れても汚れ落ちは変わりませんよ」と教えるドラム式洗濯機。室内の温度が変化すると「お部屋がとても暑くなりました。冷房運転を始めます」としゃべるエアコンなどを製品化している、中には鬱陶しいと感じる人もいるが意外にもユーザー側からは好評なのだ、確かにおもしろそうな企画だろうが経営不振に喘いできたこの会社必死でほかのメーカーとの差を縮める戦略であろう、まぁ好評なのはいいのではないかと感じる。

 日本は超高齢化社会に入り、高齢の方を意識した家電づくりが大切。機能を詰め込むだけ詰め込んで操作方法が難解では意味がありません。いくら分厚いマニュアル本を作成しても、誰も読みませんしね、トラブルが起こった時も家電が解るようにしゃべってくれたら便利なのではないでしょうか?

 洗濯をする時柔軟剤を入れるタイミングが分からず、時計を見る人がいるがしゃべっておしえてくれたら助かるだろうが、ピーピーやプープーでもいいのではないかと感じる。視覚障がい者でも音で判断できる人もいる、本当にしゃべる電化製品は必要なんだろうか?家電機能を詰め込むだけ詰め込んで操作方法が難解だから作るしゃべる電化製品は値段が高いのだ、本当に必要なものかよく考えなければならない、物珍しさに買って使わなかったら「宝の持ち腐れ」になる、便利すぎるのも如何なものかと感じる。
長平良 洋史

薬剤耐性

2016-11-10
 私たち「人間」は風邪や病気になるとお薬を飲む、なかなか治らないと増やして飲む、私も筋緊張や痛みなどの薬を毎日飲んでいるが飲み始めたのは25年前現在の2倍の量を飲んでいが、飲みすぎのせいか効き目がだんだん弱くなり増やしたのだがその時は効くがまた効かなくなった。

 そこでドクターと相談し思い切って減らしたところ、少しずつ体調も良くなり筋緊張も痛みも良くなってきましたが、念のため「頓用」として使っていました。薬剤耐性(耐性)とは私のように効き目がなくなり増量していかなければ効かないという現象の事であるが同じ薬を飲んでいると身体が慣れて効かなくなるという、この薬は効かないと別の薬を飲むと副作用で身体に異常をきたす恐れがあり、元の薬と併用して飲むとどちらの薬が効いているのか分からなくなるので、どちらかにするか時間をおいて飲むという方法もおしえてくれた。

 元々の薬で抑えられていた痛みや筋緊張が少しひどくなったからといって量を増やしたり違う薬と併用したりして飲むと、身体に負担がかかり副作用で疲れたりなかなか良くならない、違う薬を飲んでもまた病原体はその薬に慣れ効かなくなる、例えば皮膚が痒いとする、その時痒み止めを塗るがいくら塗っても効かなくひどくなる一方、病院へ行き診てもらうとまた違う薬を処方してもらい塗ると痒みも治まったが再発防止のため成分を減らして塗っている、定期的に診ているが抗生剤を減らしながら塗っている、もし治らなく強い薬を塗り続けると痒みの病原体はそれに慣れまた痒みが出る、そしてまた強い薬に頼り悪循環を受ける。

 感染症やガン治療において、化学療法はその原因となる病原体そのものを排除する根治的な治療法として、重要な方法である。ところが、ある薬剤に対して病原体が耐性を獲得すると、その薬剤による治療はほとんど不可能になり、他の代替薬を用いなければならない。難しい事である。

 人間社会でも同じ事がいえるのではなかろうか、長く付き合って心が知れあっていても狎れあいになって、ちょっとの一言で関係性が崩壊することもある、その場合には時間と距離をおいて修復する手はあるがもし修復できない場合は別れるしかない、それは薬剤に対して病原体が耐性を獲得すると、その薬剤による治療はほとんど不可能と同じ事だと感じる。

 お薬も人間関係でも、いい関係でいればいいですね。
長平良 洋史

ICT教育に思う

2016-11-08
 学校というと先生が説明しながら黒板に大切な事を書き、それをノートに書き写すイメージがあります。
 
 私も必死で書き写していましたが手が不自由なため工夫をしながら、昼休みや家に帰ってから成書していましたよ、例えば「日本国憲法」などは「憲法」と書き後で「日本国憲法」と書いていましたよ、不自由なら不自由なりに考えてやっていました。私の事を知っている先生は「コピーしとくから後でゆっくり写せ」と言ってくれましたよ、お陰で勉強に遅れることなくテストや模擬試験を受けることが出来ました。
 
 聴講生時代は大学に「ノートテイカー制」(ほかの学生が授業のない時にボランティアで書き写してくれる制度)を使ってやっていました。本当に工夫や制度で勉強が出来ましたよ。
 
 あれから20年以上経ち、スマホやIPad・ネット環境の進歩により医学・介護・福祉などの分野への貢献が期待されていて、特に教育分野に貢献している。
 
 ICT教育の目的は、情報端末を教師と生徒のコミュニケーションとして活用し、教育の質を高めることにあります。昔のように先生が黒板に書いた事を生徒が書き写すのではなく、先生が電子黒板に予め書いておき、生徒ひとりひとりにI Padを配ってそれに予め書いておいた事を送信し、先生と生徒の距離が縮まりまた生徒同士の考える力を育てる事を目的としている、昔の教育方法と比べると画期的な方法だが問題点もある。
 ICT教育はまだまだ全国には普及していないのが実情、導入資金が高く地域格差や学校間の格差のため教育格差の拡大になるという事が懸念される、また電子黒板が不具合になった時授業がストップし授業に影響が出る可能性もある。
 このような問題点を解決してもそれを使うのは先生である、ICT(情報端末)の使い方の研修はもちろん、情報の安全性や正しさ・セキュリティーに関する基本的な知識、情報社会そのものの危険性を先生が十分理解し、それらをどのように指導すればいいか先生同士で考え実践しなければなりません。

 障がい児教育にもこのICTが使われようとしている、発達障がい児を対象に一定期間無償で貸出、教育現場や日常生活の場で活用する実践研究を実施する試みをしている、確かに発達障がい児や知的障がい児教育でICTを使うのは有効かもしれないが、問題点を解決しなければならない、まして障がい児教育になると繊細な教育が求められる、学校で学ぶ国語・算数以外に社会に適する力も教えなければならない、肢体不自由児でも社会の仕組みなどを教えなければ、いざ社会に出て困るのは本人なのだ。
 ICTを教育現場に取り入れるのはよいが、先生が楽をするために導入する、先生と生徒の距離を縮め生徒同士の考える力を育てる事を目的としては、真逆だろう。

 私たちはコンピューターではない「人間」なのだ、コンピューターは「心」を持たない、いくら使う先生が生徒の気持ちを知っていなければ無意味になる。

 介護の世界も同じ介護する側される側の気持ちが合ってこそ成り立つ、ロボット・コンピューターに介護されるとしたら私はいやだ。
長平良 洋史

過労で自殺

2016-11-07
 日本の企業や会社などは未だに「働きすぎ」が多く残業(サービス残業)や上司による「モラハラやセクハラ」を受け、肉体的・精神的にも疲れ自殺する人が増えている。

 イラストレーターをやっているSさんがツイッターで、「昔、その気もないのにうっかり自殺しかけました。」と題する、過労自殺についてのマンガをあげ話題になっているのだ、過労自殺をするくらいなら辞めたらいいのにと思う人も多いと思いますが、その判断力が失われてしまうところが恐ろしいところ、いくつもの道があるのにそれが見えなくなるのです。元気なうちはいろんな道(転職など)が見えますが、追い込まれると見えなくなり「自殺」という道を選ぶ人が増加している。長時間労働を続けるとだんだん判断力がなくなり、辞めるという選択肢が見えてこなくなるという悪影響が出てくるのではと私は感じる。

 私も前の会社で「モラハラ」を受け続けた影響で、「何を書けばいいのだろう」と思い悩み、鬱状態になり立ち直れない時期が続いたが相談する人たちがいたので自殺まではいかなかったが、1日1記事アップのノルマを与えられた、記事が溜まったらゆっくり書けるのだが私には通用しない、いくら溜まっていようがテーマがあるわけでもないし、思いついた事を書けば言われてしまう(さおりんの事など)
 そして手が動きにくい日などとても辛い仕事、残業は禁止と言われていたが残業しないと毎日私の記事があがらなくなり叱られ、また残業すると叱られる、最後は2日に1記事になったがそれでも同じ事の繰り返しだった。本当にヘルパーさんや看護師・姉・友達がいなければ精神的にも肉体的にもボロボロになり「自殺」していただろう。

 自殺したいくらいに大変な仕事を与えられ、その上残業させられる労働者の気持ちは痛いくらいに分かる、肉体的の疲れは休めば取れるが精神的な疲れは取れない、誰にも相談できないひとりで抱え込み八方ふさがりになっている人はたくさんいるのではないでしょうか?労働環境・社員とのコミュニケーションの両方が上手くいっている会社は少ないのではないでしょうか?どちらかが上手くいってなければ過労の原因にもなる、誰かが気づき相談に乗ってあげると過労の原因を突き止め会社との交渉に乗り出せるかもしれない。

 責任感の強い人ほど無理をし我慢する、その性格が無理をし過労で自殺する、会社は儲けなければならないが社員や従業員の事を考えてやらなければ、会社は潰れるだろう。

 過労自殺がなくなることを願うばかりだ。
長平良 洋史
株式会社かめ
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