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ひーちゃんのつぶやき

筆者について

私の生い立ち

みなさま、はじめまして!

 

今年から私の経験や体験談、考えや思いをコラムとしてホームページにアップすることになりましたので、ぜひ読んでいただければ幸いです。詳細はこちらからどうぞ。

長平良 洋史

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平凡な1日

2016-12-27
 みなさんは「今日」という日をどうやって過ごしていますか?いつも同じ事をして、変わり映えしない毎日を過ごしているのではないでしょうか?

 「今日」という日は、今日だけしかない特別な1日であると私は思います、朝起きてヘルパーさんに着替え・食事・洗面をしてもらう毎日ですが日によっていつもとは違うなと感じる日もあり楽しく過ごしています。
 
 しかし「平凡」とは特別な事をするのではなく、いつもと同じ事をする事なのかもしれない、何かに挑戦したい時いつもやっている平凡な生活を犠牲にしてやる、以前私が水泳を始めた時いろんな事を犠牲にしてただリハビリや大会の事だけを考えていた、またヘルパーさんにも助けてもらった、生活だけではなくヘルパーさんにも犠牲を負わせてしまった、自分の生活を犠牲にするだけならまだしもヘルパーさんの生活まで犠牲にした、理解してくれるヘルパーさんだったからこそ平凡な毎日から脱出できたのではないでしょうか?

 今は執筆活動に専念しており平凡な生活をしていますが、かなり大変で、大きなミスがあれば何か所も修正しなければなりませんし時間が過ぎても修正してヘルパーさんに待ってもらう事もあり平凡な生活をしているように見えても、出来ていないのが現実です。

 生活をするうえでハプニングはつきものであり、リスクを覚悟でやらなければできないのだ。

 「平凡な生活」とは、人それぞれなのかもしれません。

 生まれも・育ちも・家庭環境も・学校も・仕事も・人との出会も、・・・考え方も・価値観も・習慣も、・・・みんな違うのですから。

  人の人生を「平凡」だなんて決めつけるのは、間違っていると思います。

 「平凡な生活」を送っている人がいれば、ぜひ会ってみたいですね、どのような生活をしているのか?
 生活にはハプニングが起こるかもしれないし、時にはリスクを背負わなければならない時もあります、そういう生活こそが「平凡な生活」なのではないでしょうか?

 平凡な生活・普通の生活ってどういう生活なのでしょうか?
長平良 洋史

猿に思う

2016-12-27
 2016年は年男でしたよまぁいい年でしたよ、猿というと人間の祖先と言われている。

 猿といってもいろんな種類の猿がいる、ニホンザル・テナガザル・キツネザルなどがいる、動物園で見たことはあるが野生の猿は見たことがない、ニュースなどで人里に現れ捕獲したというのを見るだけである。
 猿は映画や諺に出てきて、「猿の惑星」や「海猿」といった大ヒット映画もある、諺では「犬猿の中」や「猿も木から落ちる」・「見ざる聞かざる言わざる」が有名ですね、映画「海猿」はシリーズ化され、ヘルパーさんとよく観に行きましたよ内容は猿とは関係のないストーリーですがね、シリーズ全作もっていますよ。
 
 日本で一番猿が多い動物園は大分の「高崎山自然動物園」は、1500頭以上が生息するニホンザルの楽園だ。檻の中で飼育しているのではなく、高崎山にいる野生のサルを餌付けしている。2015年にメス猿が生まれ名前を公募し「シャーロット」と付けたがその名前がイギリス王女と同じだったため、「撤回してほしい」と日本中から非難が集中し一時は撤回を表明したが、イギリスの広報官から「そんな事気にしていません」と連絡があり、そのままの名前になっているという。シャーロットを一目見ようと来園者は前年に比べ8000人増加したという。
 高崎山自然動物園は、野生の猿を檻に入れず「自然」の中で餌付けをしているので、ボス猿がふたつの群れを率いて時間をずらしながら現れるという。

 申年生まれの私は非常に大胆ですが、内面には慎重で思慮深い面を持っています。落ち着きがなく裏表がある性格とみられることが多いです。私は大胆なのでしょうか?落ち着きがないのは合っていますが、裏表はないと思うのですがね?これはヘルパーさんやドクター・看護師・友達に聞かないと分かりません、ただリーダー(ボス)になる素質は100パーセントないでしょう。

 猿は賢い動物です。人間も群れを作って理不尽な事に立ち向かっていきましょう。
長平良 洋史
 

2016年に思う

2016-12-24
 アッという間に1年が終わりますよ早いよね、みなさんはどんな年でしたか?
 
 私は1月に久しぶりの「講演」をしましたよ、緊張するかなと思いきや全くしませんでした。心臓に毛がたくさん生えているの図太いのか、お陰で大成功でたしくさんの人たちと出会えて本当にうれしかったな。
 ほかにもヘルパーさんと会合に参加したり、遊びに行ったりと生活を楽しませてくれました、病気も風邪くらいで元気でいられたが障がいはだんだんと進行しているのが分かり、マッサージやリハビリ・薬などで進行を遅らせて何とかやってきましたよ。
 
 夏には高松で「小田和正さん」のコンサートに行くことができて、もううれしくてたまりませんでした。
 またリオオリンピック・パラリンピックが開催され全日本女子バレーが出場し予選は突破したが、アメリカに負けメダルは逃した、このオリンピックで眞鍋監督・さおりんが引退した、必ず一番いい色のメダルを首にかけるのを信じて「金髪」にしたのだが残念な結果に終わった。
 
 父がひょっとしたらという連絡があり会いに実家に帰った、父の顔は痩せていて昔の面影はそこにはなかった、こんな事言うのは如何かなと思うが「父はあの状態で幸せなんだろうか?」と感じた、父と話せるのなら聞いてみたい、日本には尊厳死など認められていない、胃ろうなど体にカテーテルを入れ栄養や薬を入れ「生きさせている」ような感じだ、父の本当の気持ちはどうなのか分からない。
 母も体は弱ってきているみたいで病院通いをしているのだが何とか父の介護はできる、ヘルパーさんも一日3回90分のサービスだけ、後は訪問看護やデイサービスを使っているがそれだけでは母の体力が持たない、時々姉が帰って父の世話をしてくれているそれと掃除や草引き・墓参りなどをやってくれて、終わると広島に帰るのだ。
 福祉・介護の分野は切り捨てられ年金問題なども大きな問題となってきた。

 私はコラムニストとして1年半が経ちました、最初はみなさんに読んでもらえるように勉強もしましたが、いかんせん文章を書くのが下手でして「これ何を言いたいの?」というコラムが多かったのではないでしょうか?
 自分でも「これ何が言いたいのかな?」と思う時があります。これでは私の思いや考えが上手く伝わっていないかもしれない、そういった不安を持ちながらの仕事を続けさせてもらっています。

 来年はもっとだれにでも読みやすく分かりやすいコラムにしていきたいと考えています。コラムを読んでの感想や批評があればどんどん言ってください。

 2016年本当にありがとうございました、来年もよろしくお願いします。
長平良 洋史

年賀状

2016-12-23
 いつも年賀状は11月の終わりに仕上げるのだが、今年はなぜか12月中旬にもう一気に仕上げた。
 
 いつも写真をのせて送るのだが撮りに行く時間がなく簡単に撮って一気に印刷し投函した。
 ヘルパーさんに手伝ってもらい、裏と宛名を5時間かけて印刷した、送る人は15人減らし100名ほどにした。以前1枚も送らない年があった、するとみんなから「年賀状来ないから心配して電話した」という事があり「僕でも心配してくれている人がたくさんいるんだ」と感じそれから毎年出している。
 子どもの頃は1枚1枚手書きでしていたのだが、ワープロやパソコンの普及によって手書きはしなくなった。
 その年、先生から「字が書けなくなったのかお前は」というお叱りの電話があった。その時「自分で書きたかったさ」と言いたかったが先生はお見通し、パソコンの方が早いから自分で書いていたら大変だし緊張も強くなる仕方ないという先生の思いが伝わってきた。

 私の年賀状はいつも写真つき、今年も元気だよっていう顔を撮って送っているのだ、みんなは私の年賀状を見てどう感じているのだろうと考える。今年も同じかと感じている人、元気でやっているなとか考えながら元旦を迎える、元旦はいつもショートに入っているがショートから帰るとポストに年賀状がたくさん入っている。それに1枚1枚目を通すのだが簡単な年賀状や凝っている年賀状などいろいろある、ある友達の年賀状はもうイラストというか芸術の年賀状を毎年送ってくれますよ、「すごい」の一言です。みんなの年賀状は一文字一文字に心がこもっている。私の年賀状は心がこもっているのだろうかと感じる。

 手書きでもパソコンでも、心がこもっていれば見てくれた人には「洋史は元気にしているな」と感じてもらえるかもしれない、今も手書きでしたいのだが、時間がかかるし字が書けないほど障がいが進んでいる、やはりパソコンしかないのだろうか?
 
 最近「年賀状離れ」が進んでいる、年の初めの挨拶状だのになぜ年末に準備をするのか?なぜ元旦に届けないといけないのだろうか?不思議でならない。
 携帯やスマホで済ます人が増えてきた、わざわざ年賀状を出さなくてもメールで済む時代になっている、それはそれでいいのではないかと感じる、ただ元旦の0時にみんなが一斉送信するとパンク寸前でなかなか届かない。

 やはり確実に届くのは「年賀状」だ、面倒に思うが年の初めの挨拶状なので大切な人や友達に年賀状を出してみればどうでしょうか?
長平良 洋史

野生動物と遭遇したら

2016-12-22
 このところ都会でも野生動物と人間の間にさまざまな問題が起こるようになりました。
 
 カラスがごみを散らかしたり、イノシシに人や犬がけがをさせられたりといった話題は、みなさんもテレビなどでご存知でしょう。クマやイノシシ・シカなどが人里に出没による農業被害や、林業被害・観光客や地域住民への人的被害は、年々増加の一途を辿っている。
 
 なぜ人里に野生動物が現れるのだろうか?
 
 それは野生動物の居場所がだんだんと少なくなっているからだ、開発で森林伐採・山を崩し道路などを作って野生動物の居場所をなくしているからである、居場所をなくした野生動物たちは食糧を求め人里に下りてくる。下りてきた野生動物は農作物を荒らし人間にまで襲い掛かるのだ、万が一野生動物と鉢合わせすればどういう行動をとればいいのでしょうか?
 よく聞くのは「寝たふり」をすればいいというのだが、それは「死んでいる」と思い襲われるので逆効果です、クマは意外と臆病なので話し声や音を聞くと逃げる習性があるので、知り合いや友たちと話したり鈴を鳴らしながら遠ざかるのがいいらしいと言われているので山に入るときには必ずふたり以上で入り鈴や笛など鳴りものも持って行くといいでしょう。大声を出したり慌てて走ったりすると追いかけてくるのでやめましょう。
 もし遭遇してしまったら視線をクマに合わせ、物音を立てずにそっと逃げましょう。気づいている場合は、クマの目をしっかりと見つめ、決して背中を見せずに後ずさりで逃げること。荷物を持っているなら、それを置いて逃げると、クマの興味はそちらに移ることが多いようです。
 もし襲われたならクマの鋭い爪が届かない背後に回って反撃をするといいでしょう。これは実際にあった事ですが木の棒で叩くと逃げて行ったそうです。

 ほかの野生動物にも対処法はあるのですが、一番の被害者は「野生動物」です、住処にしていた山や森林を開発のために切り開き伐採され、食糧もなくなり人里にやってくるのです。
 人間の住みやすさのために開発をするとう事は、野生動物にとっては住みにくくなるのです、日本は狭いので開発しなければならないのですが、開発によって犠牲になるものがいるそれは野生動物だけではない人間も犠牲になっている。開発する場所に家や農地がある人は立ち退かなければならなくなってしまう、住み慣れた場所から引っ越さなければならない、とはいえ人間の場合は補助金や土地がもらえるが野生動物は何も出ない、ここで大切なのは「共存」である。

 野生動物と人間との「共存」が上手くいっていないのだ、2020年に向けて大規模開発が行われるだろう、その時は野生動物と人間は「共存」出来ているだろうか?
長平良 洋史
 
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