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生い立ちについて

私の生い立ちについて

まずは私の生まれてから今日までのことを簡単に書きます。

 1968年8月23日、かわいいかわいい男の子が1ヶ月遅れで産まれた。3000g以上もあるまるまると元気な赤ん坊でしたが、半年経って異変に気づき、家族は「おかしいからドクターに診てもらおう」と言い病院へ行った。

 すると先生は「ちょっと待てよ?おかしいぞ、専門の病院で診てもらおう」と岡山医大を紹介してくれ、1970年家族と岡山医大へ行きドクターに診てもらった。

 私たちに下された診断は、聞いたこともない病名「脳性小児マヒ」だ、家族は「なんだろう?」とドクターに聞くと「ほっておくと歩けなくなり、体も動かなくなる」と言われ、マッサージ師や鍼灸師・整体などあらゆるところで治療を受けた。

 さて私も幼稚園に通う歳になったが、障がい児を受け入れてくれるところはなかったが、偶然にも知り合いが養護学校の校長だったので、その養護学校に入園でき、幼稚部2年と小・中・高と14年通いました、が高校3年のとき進路のことで悩みましたよ、その時ふと中学生の頃に見た新聞記事の見出しが浮かびました、それは「軍事費増大・福祉削減」という大見出しで「これではいけない」と思うのが浮かび、またある先生の一言、「お前、福祉の道に進まないか?」という言葉で福祉の道に進もうと決心した。

 「福祉の道に進んで、相談員の仕事をしたい」と先生に言ったところ「お前、早く言わんか」と大学一覧のファイルを開け「大学目指せ」と言うので、「今まで、訓練(リハビリ)や遊ぶばかりしていたのに受かるわけないやん」と言うと「まだ推薦入試まで2週間もある、内申書はわしに任せて勉強せえ」と言われた。

 2週間後推薦入試にチャレンジしたが、失敗に終わったが私はもう一度チャレンジしようと浪人をし受験したが、失敗に終わった、私は、「福祉の勉強は大学に行かなければできないのか?」と考え、「いや、まず現場を経験しなければ」とまず障がい児保育を経験し、週1日の保育に参加しあまり接したことがない精神障がいの子どもさんや知的障がいの子どもさんたちとふれあい、また保護者さんともいろんな話をしているうち、「これは大変だ、これは何とかしなければ」と考えさせられました。

 この経験は、大学に行っても経験できなかったと思いました、本当にいい経験をしました。

23歳のとき「僕、将来どうなるんだろう、施設かな?」と考え「施設はまだ早い」と思い、3ヶ月のリハビリをし、12月、アパートを借りて「自立生活」を始めました。

初めは介護者もいないところからのスタートで不安だらけでしたが、知り合いの紹介で夜の介護をしてくれる人が来てくれるようになり、毎日銭湯に行きゆっくりと入浴できるようになりました、そしてその介護者からの紹介で次から次へ介護してくれる方が増えてきて、生活を始めてから約1ヶ月で夜の介護者でいっしょにやっていけるようになりましたが、まだ朝の介護者がいない状態でした。

私は、介護募集のチラシを障がい者団体や友人・大学・新聞(マスメディア)に配布し、求人雑誌にも載せた。

すると「求人広告を見て電話しました」という問い合わせが殺到し、しかも社協のヘルパーさんにも頼んでやっと朝の介護者が揃い、今まで家族の手を借りてやってきた「自立生活」が介護者といっしょに生活出来るようになりました。

仕事も紹介してもらい、働く喜びを感じ初めての月給は学校時代の先生とお茶をして初めておごることが出来ました。

10年前には、会社員として働くようになり多くの方々と接し「これが社会参加なんだな」と実感し、現在に至っています。

今回は、「私の生い立ち」というテーマで書きましたが、少し長々と書きすぎちゃいました、まじめなコラムだけでは面白みがないので、ときには楽しいコラムを書きますのでよろしくね。

 

長平良 洋史

株式会社かめ
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